暗がり坂 あかり坂
きもの紋入れまつもとです
晴れた朝が気持ちよく感じる季節になりましたね。冬にちぢこまった身体をほぐすには朝散歩が最高です。
主計町
加賀藩士・富田主計(とだかずえ)の屋敷があったことに由来する、金沢市主計(かずえ)町。金沢市三茶屋街のひとつ「主計町茶屋街」となっています。
川の気配に満ちた明るい表通りを一歩入ると、昼間でも仄暗い裏通りが存在します。どこからともなく笛や太鼓の音が聞こえ、異世界に通じるような雰囲気があります。
暗がり坂
高低差のある複雑な地形である金沢には、数多くの坂があります。その中でも、最も金沢の人に愛されてきた坂道です。
主計町茶屋街と、坂の上の「久保市乙剣宮」を結んでいて、かつて旦那衆が人目を避けて茶屋街に通うために使われていたと言われています。名前の通り、昼間でも仄暗い坂で「暗闇坂」とも言われてきました。
久保市乙剣宮の向いは、文豪、泉鏡花の生家があった場所で泉鏡花が子供のころ、この暗がり坂を通り、学校に通ったと言われています。
あかり坂
先述した「暗がり坂」と平行し存在します。特に名前の無い坂でしたが、金沢市民から、土地にゆかりのある作家、五木寛之氏に依頼があり、作品の中で登場人物に命名させるという形で名づけられました。
標柱に刻まれた五木寛之氏の言葉
「暗い夜のなかに明かりをともすような美しい作品を書いた鏡花を偲んで、あかり坂と名づけた。あかり坂は、また、上がり坂の意でもある。」